「485・・・ダメでした。」
TOEICのスコアが発表されると、
いわゆる Twitterの「英語垢」の人々が
結果のスクリーンショットを投稿したりします。
その中で、
「485・・・だめでした。」
というような
投稿を見かけたのですが、
一瞬、
「LとRで485なのかな?」
と思うじゃないですか。
でも、Lだけの点だったんですね。
LとRの合計スコアが、
たとえば 600の方には、
「感じ悪いなぁ!」
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と、思われるかも知れません。
でも、
この方のリーディングは、
100点かも知れないし、
150点かも知れない。
そうしたら、
「なんだぁ」
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と、思い直したり
するかもしれません。
合計すれば、600に近くなって
自分自身と重ね合わせたり
できるかもしれません。
TOEICは、言ってみれば「世の中のものさし」
なので、
その尺度の中で要求される
スコアが第一目標になります。
その基準が、
650、730、850、900・・・
どのスコアを目指すべきかは、
それぞれの場所で
要求される基準が異なります。
会社要件等を超えて、
自己啓発や、
自分自身が設定した目標になると、
今度は、
”ものさし” が
「世の中」ではなく「自分」になります。
そうなると、
同じスコアでも、
捉え方が全く違うわけです。
野球少年の誰もが、
プロを目指すわけではないですし、
メジャーリーグに行くわけではない、
だからと言って、
野球を頑張っても意味がない、
ということはないですからね。
自分の”ものさし”で、
今、やるべきことを決める
私自身は、
いろいろなスコアの方に接していて、
中学文法からやり直す方、
中学文法ぐらいわかるよ!
・・・という方、
どうしても900超えないと気が済まない、
・・・という方もいらっしゃるので、
スコアに対する感覚が、
人によって違う
ことに慣れているというか、
“目の前の人の基準” で、
お話しするようにしています。
どんなスコア帯でも、
100点アップすればすごいし、
目標を叶えたらすごいわけですから、
自分より上か下か、
という比較をしたり、
感情的になったりするのではなく、
“ 自分が目指すスコア “
に対して、
今どのくらいのスキルがあるのか、、、
何をしていったら良いのか、、、
そういうことを考えられると
良いと思いますし、
それを冷静に考えられる人が、
最短距離でゴールに近づけるように思います。
Twitter界隈の連帯感
あのTwitter界隈の
「目標に向かって頑張る」連帯感は、
すごくいいな、と思います。
100%網羅的に見ているわけではないので、
私の知る範囲ですが、
すごく平和で健全なやりとり
なんですよね。
スコアが上か下かは関係なく、
「自分の目標」に向かって頑張ることが
受け入れられて、
素直に頑張れて、
自己ベストを出した時でも、
結果が良くても悪くても、
応援し会える仲間がいるのって、
いいなぁと思います。
それこそ485なのか990なのか、
スコアに関係なく、
頑張ったことを讃えあったり、
目標スコアが叶ったり、
「次は頑張るぞ!」っていう人がいたり、
それに対して「頑張れ!」って励ましたり・・・
誰だって、
自分より上のスコアの人を
羨ましいと思うのは当然です。
(TOEICや英語に限らず)
でも、そういう垣根がなく、
お互い頑張ろう!っていう雰囲気は、
いいなぁと思いますし、
スコア公開後の
あのお祭りの雰囲気は好きです。
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